菅 正広(公共政策大学院教授)


幸福とは何か。その定義については、古来、哲学、倫理学、心理学などで賢人たちが考察を重ねてきた。アリストテレスは「最高善」を、アダム・スミスは「心の平静」を、カール・ヒルティは「神と共にあること」を真の幸福と考えた。幸福とは何か、という問題は人類の歴史と同じほど古い問題でありながら未だコンセンサスがあるとは言い難い。幸福の意味は人によってまちまちで、各自が独自の定義付けをしている。

それでは、私たちが幸福を感じるのはどんな時だろうか? 主観的幸福は「生活に対する満足」、「肯定的な気分の存在」、「否定的な気分の不在」から評価されるが、「自己の重要感」が満足されることによって幸福を感じると捉えることもできるだろう。お金や権力も「自己の重要感」を満足させる一つの要素かもしれない。しかし、それがすべてではないし、それだけでは「自己の重要感」は満足されない。いかに物質的に豊かになってもそれだけで幸福が保障されたと感じられないことは、私たちの多くが高度成長期やバブル期あるいは日常の生活を通して実感してきたことではないだろうか。お金や権力などの物質的条件以外に、いかに人々や社会に受け入れられ承認・評価されるかということも、私たちにとって「自己の重要感」を満足させる大きな要素だろう。たとえ所得が少なくとも人々や社会の承認を得られれば、私たちは「自己の重要感」を満足させることができる。最近、ここに自らの幸福を見出そうとしている若者が増えているように思われる。しかし、それは若者だけに限ったことではないだろう。

というのは、私たちは老若男女を問わず社会とつながっていたいという願望を持っているからだ。誰もが社会の中に居場所を見つけ、そこで活躍したいと願っている。それが自らの存在に意味を与え、自らの価値を証明することになる。人々や社会に受け入れられ、承認されることは自己のアイデンティティを確認することであり、「自己の重要感」を満足させる大きな要素になる。

このように考えると、社会との「つながり」や「きずな」は私たちが守るべき社会的価値の一つと言っていいのではないだろうか。

労働政策研究・研修機構が2007年秋に国民の生活意識を調査したところ、「脱地位志向(もっと多くの富や地位を求めてがんばるより、自分の納得のいく生活を送りたい)」(82.2%)や「脱物質主義(これからは、物質的な豊かさよりも、心の豊かさやゆとりのある生活をすることに重きを置きたいと思う)」(81.4%)が高い割合を示している(『第5回勤労生活に関する調査』(2008年3月24日))。これは、一定水準の所得があれば、働きがいや生きがいを感じられる人生を送ることが幸福であると考える人が増えていることを示唆する。

所得が増えても幸福にならないという、経済学にとっての「幸福のパラドックス」を解くカギの一つはこの辺にありそうである。「球団だって、女心だってお金で買えないものはない」という言説が取り上げられた時代とは違う空気が社会に漂い始めているように思われる。
菅 正広(公共政策大学院教授)


マイクロファイナンスとは、貧困に苦しむ人たちのために提供する少額無担保融資などのことです。バングラデッシュのムハマド・ユヌス・グラミン銀行総裁が2006年にノーベル平和賞を受賞して一躍有名になりました。担保もない貧しい人たちに融資をして貸倒率は1~2%という驚異的な実績を上げています。通常の銀行の発想をひっくり返した画期的な金融だと言えるでしょう。マイクロファイナンスの理念を一言で言えば、ビジネスの手法を活用して私的利益と社会的利益の両立を追求することです。ここで、社会的利益とは貧困削減や環境保護など社会的価値の実現によって得られる利益のことです。

日本ではマイクロファイナンスはいまだ馴染みがなく普及していません。しかし、マイクロファイナンスは開発途上国のみならず欧米先進諸国でも行われ、貧困削減に有効であることが実証されています。日本だけができない理由はありません。日本には日本に適したマイクロファイナンスのビジネスモデルがあります。いずれ日本でもマイクロファイナンスが普及していくと確信する次第です。

<世界金融危機が問いかけるもの>
さて、ここで今回の世界金融危機が問いかけるものについて考えてみましょう。

今回の世界金融危機はパラダイムシフトのきっかけになる歴史的な転換点と言われ、資本主義やビジネスモデルの見直しが迫られています。世界金融危機は欲望の暴走が破局を招くことや規律なき自由はサステナブルでないことを改めて教えてくれました。また、貧困や格差を深刻化させ、市場経済の先鋭化の矛盾を表面化させています。

このような事態に直面して、私たちが今問われているのは、いかに勝ち残り、生き残るかということだけではなく、世界金融危機を踏まえて市場の論理を超えた仕組みをいかに作るか、サステナブルな住みやすい社会をいかに作るかということではないかと思います。

<アダム・スミスの洞察>

「経済学の父」と言われるアダム・スミスは、「神の見えざる手」やレッセフェール(自由放任主義)で有名ですが、それを体系化した『国富論』とは別のもう一つの著書『道徳感情論』で今回の世界金融危機に示唆を与えてくれる洞察を加えています(詳しくは、アダム・スミス『道徳感情論』(水田洋訳、岩波文庫)、堂目卓生『アダム・スミス』(中公新書)などをご覧下さい)。

そこで、スミスは正義の感覚によって制御された競争が市場で行われなければ、社会の秩序と繁栄はもたらされないと言っています。また、「富と幸福の関係」については、真の幸福=心の平静は「健康で、負債がなく、良心にやましいところがない」だけの富があれば得られるものであり、仮にそれ以上の富を得てもさらに幸福になるというものではないと喝破しています。

いかに経済的に豊かになっても、それだけでは心の平静や幸福が保障されていると感じられないことは、高度成長期やバブル期あるいは日常の生活を通して私たちの多くも実感してきたことではないでしょうか。

<人間は多次元的な存在>

資本主義を描く経済学は、人間を利益最大化という一次元的な原理に基づいて行動すると仮定して理論を構築しています。しかし、現実には、ムハマド・ユヌス総裁が指摘するように、人間は感情を持ち社会性を備える多次元的な存在です。

よく考えてみれば当然のことですが、私たち人間は経済学が理念型として前提とするような、自分の利益のためだけに生きている存在ではありません。私たちの多くは「人々や社会に善いことをしたいという欲求」を併せ持っています。私たち人間は、元来、私的利益以外にも社会的利益を追求する存在なのです。

利益最大化以外の目的を持つビジネスなど資本主義には存在しないと思われる方も多いと思います。しかし、利益最大化を目的としないソーシャル・ビジネス(社会的課題を解決することで社会的利益を得るビジネス)は存在し得るのです。一定水準の富があれば獲得し得る幸福を得られると考える「賢明さ」を持ち、「人々や社会に善いことをしたいという欲求」を持つ人の中からマイクロファイナンスやソーシャル・ビジネスを実践する人が出てきます。ムハマド・ユヌス総裁をはじめ多くのソーシャル・ビジネスの起業家はその実例と言えるでしょう。

そして、社会的価値も念頭に置いた競争が市場で行われることによって社会の秩序と繁栄はもたらされ、社会はサステナブルになる余地が生まれてきます。

<市場の論理を超えて>

このように考えてくると、世界金融危機後の市場の論理を超えた仕組みづくりは市場を否定する方向で考えられるべきものではないでしょう。価格を指標として需要と供給によって資源配分が決定される市場の機能は誰かが計画するよりもずっと効率的です。ただ、正義の感覚や社会的利益による制御が必要なのです。それは市場の失敗が起きる分野だけではなく市場全般について言えることです。正義の感覚によって制御された競争が行われるよう、市場の制度的インフラを整備する規制が求められているのであり、市場が機能しなくなるような過剰規制は注意深く排除されるべきでしょう。

また、社会的利益を重視する社会の土壌を醸成する視点も重要です。私的利益の最大化という単一の価値観ではなく社会的利益も追求する複線的な価値観によって社会のサステナビリティが増すからです。ビジネスによって生み出された社会的利益を客観的に評価する社会指標(ソーシャル・インデックス)の開発やソーシャル・ビジネスを行う企業が上場できる株式市場=ソーシャル・ストック・マーケットの創設などの検討が望まれます。ソーシャル・ビジネスの担い手を育てるためのソーシャル・ビジネス・スクールを作ることも検討が必要でしょう。

その際、社会的利益を追求する主体は公的セクターだけではないことを認識しておくべきでしょう。公には、機能上も財政上も貧困削減や環境保護などの社会的課題をすべて解決するには限界があると言わざるを得ません。他方、民にも限界があります。人々の善意や犠牲だけに依存して社会的課題を解決することは困難です。公と民が融合し社会全体で取組まなければ社会的課題は解決できません。民は公的ミッションを意識し、公は民の手法を活用することが求められています。サステナブルな住みやすい社会を作るには社会的課題に社会全体で取組んでいくことが必要な局面に至っています。ビジネスの手法を活用して私的利益と社会的利益の両立を追求するというマイクロファイナンスの理念が必要とされる所以です。

【本コラムは、北海道開発協会『開発こうほう』 vol.550(2009年5月号)に掲載された原稿を加筆修正したものです。】
菅 正広(公共政策大学院教授)


世界金融危機は文字どおり世界的規模で激震を起こしています。2008年11月半ばに開催されたG20による金融サミットは、「金融システムの安定に必要なあらゆる追加的措置をとる」との首脳宣言を採択しました。宣言では、再発防止に向けて金融市場と規制枠組み強化の改革実施が合意され、全ての金融機関、金融商品、市場参加者が規制・監督の対象とされました。

今回の世界金融危機は、パラダイムシフト(支配的な物の考え方の枠組みが変化すること)のきっかけになる歴史的な転換点と認識すべきでしょう。

サミュエルソン・マサチューセッツ工科大学名誉教授は、「レッセフェール(自由放任主義)の資本主義は大きな混乱に進むだろう。これから、米国では自由主義と政府規制の容認とを折衷した中道路線が主流になろう」と言っています。また、グリーンスパン米連邦準備制度理事会(FRB)前議長は米下院公聴会で、「自己責任に基づき利益を追求する市場経済に欠陥があった」ことを認めています。ドル基軸体制の見直しや国際的な資金フローの変化さえ視野に入り、資本主義やビジネスモデルの見直しを迫られています。

これはまた日本の経済や社会を見直す好機でもあります。
市場経済の先鋭化をこのまま放置してよいのか、という問題意識は世界金融危機の前から提起されていましたが、今回の危機がそれをより深く考えさせてくれることとなりました。社会が持続可能であるために、私たちにできること、やるべきことは何かを考えるよい機会です。

経済の面では、世界的な金融危機と景気後退を受けて日本も景気後退局面に入っていることが明らかになりました。企業の設備投資が減少し、輸出や個人消費も伸び悩んでいます。今回の世界金融危機の発端となった米国住宅市場が上昇に転ずるのは数年後と見込まれ、1年程度で正常化するようなものとは考えられていません。欧米諸国や新興国からの外需の増加が期待できない中、日本でも企業業績の悪化→ワーキングプアや失業者の増大など雇用環境の悪化→消費・投資の減少という悪循環が現実のものとなりつつあります。

内需を刺激する財政金融政策や金融システムの安定化策だけではなく、企業体質の強化や産業構造の転換など供給サイドの政策のほか、持続可能な社会保障制度など制度的インフラの整備を並行して進めることが重要な局面でしょう。その際、さらに深刻化しかねない貧困・格差問題に手当てをしないまま、日本に必要な改革を進めることは難しいことを認識すべきでしょう。

今回の世界金融危機を契機に、米国ではオバマ次期民主党政権の下、その経済政策の軸は「競争力向上」から「格差是正」による経済の活性化に移るのではないかと言われています。日本風に言えば、「上げ潮」から「底上げ」による経済の活性化への移行ということになるでしょうか。

地方でも、経済がかなり疲弊した状況にあり活力が失われつつあります。2002年からの景気回復が輸出主導だったこともあり、地方経済への波及は小さいものに留まりました。貧困・格差への対応は地方でより求められていると言えるでしょう。

社会の面では、秋葉原の通り魔事件や大阪の個室ビデオ店放火事件などは社会の住みづらさや社会的排除に対する個人の必死の抵抗が歪んで噴き出した側面があるように思われます。地域の「つながり」や社会との「きずな」が失われている中で、コミュニティ力の復活や地域の再生が切に望まれます。

私的利益最大化の一点を究極まで追求する単一の価値観に対する反省や、社会に善いことをしたいという社会的リターンに価値を見出す動きが社会に広がれば、貧困に苦しんでいる人たちが自立することを助ける金融である「マイクロファイナンス」が日本でも芽生える素地は十分にあります。金融危機による不安定な時期だからこそ、社会全体が、勝ち残り生き残るための競争力強化に心を砕くだけではなく、マイクロファイナンスやソーシャルビジネスに光を見出すことができるでしょう。私たちは自分ではどうしようもないリスクに陥った時に社会が助けてくれるという信頼感を何よりも大事だと思っているのではないでしょうか。

それでは、「マイクロファイナンス」とは一体どのようなものなのでしょうか。
マイクロファイナンスは、バングラデッシュのムハマド・ユヌス・グラミン銀行総裁が2006年にノーベル平和賞を受賞したことで、広く世界に紹介されました。マイクロファイナンスとは、「担保となるような資産を持たない貧困層や低所得者層に対して、小規模の無担保融資や保険などの金融サービスを提供し、彼らが貧困から脱却して自立することを目指す金融」のことです。

その理念は、ビジネスの手法を使って私的利益と社会的利益の二元的利益の両立を追求することです。マイクロファイナンスは、公(政府)でも民(マーケット)でもない、「第三の道」と言えるでしょう。

ところが、「1億総中流」の豊かな日本に貧困など存在しないと思われていたり、マイクロファイナンスは開発途上国のもので日本には関係のないものと思われたりしてきました。

果たして本当にそうでしょうか?
これまで、貧困の定義、救済すべき貧困の範囲などが人によってまちまちなため、議論がかみ合わない面がありました。最低生活費以下の推定世帯数は500万世帯を超え全世帯の1割以上になると見込まれ、年収200万円未満の人は役員を除く雇用者の34%に相当する1,731万人になります。また、「飽食の国」とさえ言われる日本で、毎年60人~90人が餓死しており、5日に1人が日本のどこかで餓死していることになります。これまで「1億総中流」と思われていた日本でも、もはや貧困は否定できない事実になっています。日本の貧困は今や例外的な存在ではなく、老若男女に質量ともに無視できない規模で存在するのです。今回の世界金融危機で、その規模がさらに拡大することが強く懸念されます。早急な取組みが必要な状況にあると言えるでしょう。

また、マイクロファイナンスは一般に思われているように、開発途上国だけのものではありません。1990年代以降、欧米先進国においても通常の金融サービスを受けられない貧困層・低所得者層に対して、社会的排除をなくす手段としてマイクロファイナンスが実施されています。たとえば、アメリカでは、アクシオン、地域開発金融機関(CDFI)、KIVA(スワヒリ語で「合意」の意味)などのマイクロファイナンス機関がアメリカの国内外の貧困層・低所得者層に融資を行っています。イギリスではストリートUKや地域開発金融機関(CDFI)が、フランスではADIE(「経済的に自立する権利のための組織」)などがマイクロファイナンスを実施しています。

マイクロファイナンスは、先進国でも貧困対策として有効かつ必要な手段であることが実証されているのです。他方、日本では、現在のところ、マイクロファイナンス機関と呼べるものはほとんどありません。しかし、日本にも応用できるマイクロファイナンスのビジネスモデルは存在します。それは、5人1組ではなく個人融資であったり、小口と言っても欧米諸国のマイクロファイナンス機関のように数万円~数百万円の融資額であったりするでしょう。その融資原資に必要な資金調達方式としては、インターネット融資方式、「ふるさと金融方式」、NPOバンク方式など、私たちの「意思ある資金」を活用するビジネスモデルが存在します。実は、日本でも世界の各国のようにマイクロファイナンスが貧困削減に有効な手段なのです。

そして、マイクロファイナンスによって国内外の貧困を削減するため、私たちは市民、一般企業、金融機関、政府など各々の立場で、役割を果たすことができます。マイクロファイナンスが日本に普及するかどうか、そして貧困問題を本当に解決できるかどうかは、私たち一人ひとりが「共感」を持って他者のことを自分のことと同じように考えられるかどうかにかかっていると言えるでしょう。

マイクロファイナンスは、持続可能な社会のために必要なセーフティネットであり、金融分野でのソーシャルビジネス(ビジネスの手法を使って社会的課題を解決することで社会的リターンを得るもの)です。ソーシャルビジネスは、現在の先鋭化した市場経済に対して資本主義をよりよいものに変えていくオールタナティブになるのではないかとの期待さえ抱かせてくれます。

たとえ不安定で暗い時期であっても、他者に対する「共感」が私たちの社会にある限り、日本でもマイクロファイナンスを始めることは見果てぬ夢ではないと、私は信じています。よりよい未来を築くために、新たなオプションが私たちの社会に加わることは一筋の光だと思うのです。

【本コラムは、2008年12月18、25日に朝日新聞(朝刊)に掲載された「金融危機とマイクロファイナンス」に加筆したものです。】

吉田 徹(公共政策大学院准教授)


日本の某大手広告代理店がこの夏に「ソーシャル・プランニング局」なる部署を新設した。現代ヨーロッパにおける「余暇」の誕生について講釈をしながら、勢い想像は戦間期のヨーロッパに飛ぶ。「バカンス」は、1930年代の「ソーシャル・プランニング」の過程で発明されたものだった。かつて富裕層が軽蔑した「有給休暇=奴らは金を貰って休んでいる!」は、社会の中での正当な権利として根付くことになったのである。

「社会的(ソーシャル)=計画(プランニング)」――第一次世界大戦までの第一次グローバリゼーションの時代が29年の大恐慌を招き、先進国はいかに合理的かつ計画的に社会を統制していくのかに腐心した。1870年に英国とアメリカの間の小麦価格は56%もの価格差があったが、1913年には労働力の移動と国際市場の発達によってわずか13%差にまで縮小するという、「かつてない相互依存の時代」(H.ラスキ)にあった。しかし株式市場と国際市場の混乱を受けて、先進国のデモクラシーは動揺し始める。貧困格差と荒れ狂う大衆を前に、政治は何をできるか――その結果生まれたのが「ソーシャル・プランニング」だった。

当時のフランスのタルドゥイユ首相は言った。「レッセ・フェールという古く高貴な原則は、現在のような資本の集中、大規模な企業、事業の国際化を前にしてもはや適切ではない。好むと好まざるに係らず、今後国家はこれまで介入しなかったような領域に介入し、これまでは知らないのが普通だったような事柄を引き受けなければならない」。

国家が合理的な資源配分と社会的統制を行うことは、時代の「ニュー・エコノミー」(W.ラーテナウ)として歓迎され、アメリカ発のテイラー主義とフォーディズムが積極的に導入された。ドイツでは専門官庁として新設された経済省が国内経済を指導し、フランスでも「国民経済審議会」が発足、資本家と労働者を政府が編成する混合経済が誕生した。欧州版「ニュー・ディール」と言えば、解り易いだろうか。

社会科学者たちも、この新しい状況に懸命に対処しようとした。英国のケインズ卿は、やはり合理的な人間達による合理的な経済政策を提唱し、ハンガリーの亡命知識人カール・マンハイムは民主制のもとでの「民主的計画」の可能性という、二律背反に挑む。

戦後の公共政策は、新たな民主主義による可能性と資本と労働の融和を目指して、アメリカ流の行動科学による意識分析と費用対効果分析とによって発展をみてきた。多かれ少なかれ、先進国であればどの国も「大きな政府」を経験する。この流れが反転するのは70年代以降であり、ここでもはや国家は「生活の大問題を解決するには小さく、生活の小問題を解決するには大きすぎる」(D.ベル)と断罪されることになった。ある日本の経済官僚は嘆く。「石油備蓄制度があると言ったって、エネルギーが枯渇したらどこに配分したら良いかなんて解るはずがない」。公共政策とは、むしろ市場の原則を取り入れた「NPM(ニュー・パブリック・マネージメント)」であるべきとする新世代の誕生まで、時代はあと一歩のところまで迫った。

「100年に1回」といわれる金融資本主義の危機の時代にあって、公共政策の立ち位置も必然的に揺らいでいる。少なくとも、消費資本主義の象徴であるかのような広告代理店に「ソーシャル・プランニング」の名称を独占させておくのは、勿体ないのではないだろうか。

小原 恒平 (公共政策大学院客員教授)


平成20年の4月から公共政策大学院にお世話になっています。昭和50年土木工学科を卒業し、昭和52年工学研究科情報工学専攻を修了しました。その後運輸省に入り、港湾、空港行政を中心に勤務し、国土交通省を経て、19年10月に30年余りにわたる公務員生活に終止符をうちました。

北海道との関わりは、中学校時代に修学旅行で津軽海峡をわたったのが最初です。その時のイメージの鮮烈さが北大を選んだきっかけといっても過言ではありません。

北大に進学したのが昭和46年でした。年が明けてすぐ、札幌オリンピックがあり、アルバイトを兼ねて大回転やアイスホッケーなど生の試合をまじかに見ることができました。札幌の街も北に向かう市電が廃止となった代わりに南北線の地下鉄が開通し、大きく変わろうとしていた時代でした。

その後、国家公務員となったわけですが、不思議と北海道での勤務がなく、まさに30年ぶりに縁が復活したことになります。

公務員生活の最後が福岡勤務だったのですが、よくサラリーマンの単身赴任で人気のある都市は、札幌と福岡だと言われます。どちらも適度に東京から離れており、また街自体がコンパクトで、それなりの刺激があり、また食べ物や自然に恵まれているなど共通点が多いのです。全国を転勤でまわってみて、その土地なりにいいところはあるのですが、やはり札幌と福岡はその暮らしやすさから見て突出しているような気がします。

公務員をやめたときはこのように教壇に立つなどということは夢にも思わなかったのですが、これも何かの縁と思って、大学への恩返しのつもりでやらさせていただこうと考えています。

30年余りの公務員の経験が学生の皆さんのこれからにどう役立つかはわかりませんが、公共政策はまさに天下国家を論ずるレベルから街のどぶさらいまで実に様々な場面があり、机の上だけでかたづく問題ではないことを少しでも理解していただけるよう努力していきたいと考えています。

郷土の先輩であり、大学の大先輩でもある新渡戸稲造の「願わくは我太平洋のかけ橋とならん」の言葉を想いながら、公共政策大学院大学の理念である理論と実務のかけ橋になれるよう努めてまいりますのでよろしくお願いいたします。

稼農 和久(公共政策大学院教授)


ノーマライゼーション、直訳すればノーマルにすること、通常化、普通化である。1950年代にデンマークで知的障害者の生活のあり方について提唱された言葉である。その後、障害者福祉のみならず高齢者福祉の分野などひろく地域福祉推進のキーワードとなっている。

私は職業柄、この言葉をよく使ってきたし、講義等でも頻発している。障害があってもサポートを受けながら(健常者が普通に体験するように)地域で通常の生活を送れるような社会を目指すというのが現状のわが国での目指すべき姿なのだと思う。

先般、道内で障害者の地域生活支援に取り組んでいる小さな事業所を訪ねた。そこで、8年ぶりにある実践者と再会した。「障害者にサービスを提供している私たちが、彼らの「普通の暮らし」にとって、かえってバリアになってしまっては本末転倒なのに、そういう場面もあるのかもしれない。次の段階に向けて悩んでいる自分がいる。」という言葉が強烈に印象に残っている。

朝9時にディサービスの迎えのバスに乗って高齢者が「通勤」し、午後4時頃同じバスで帰宅する。そういった風景が日常になってきている。もちろん、サービスが少なかった時代に比べれば隔世の感があるし、それぞれの人々の生活をサポートしている。ゴールドプラン(高齢者保健福祉計画)、エンゼルプラン(子育て支援計画)、障害者プラン・・・。これまでサービス量の拡充を第一の目標にして計画的な整備が進められてきた(厚生労働省出身者として役人側から言えば、「進めてきた」)。

月並みな言葉であるが、これからは、もちろん必要なサービス量を確保しつつ「量から質への転換」、もっと言えば、「地域における受容力の強化」がノーマライゼーション・安心感の醸成につながっていくのではないかと最近考えている。閉塞感がある世の中で、押し付けではなく、それこそ「持続可能な」安全網をどのようにはりめぐらせていくのか、課題は多いが、皆さんとともに考えていきたい。

木幡 浩(公共政策大学院教授)


先日、香川県に医療ITの調査に出かけた。
香川県では今、全県域に及ぶ遠隔医療ネットワークが広がり、多数の医療機関が参加している。香川県は24の有人離島を抱えてはいるが、面積は北海道の40分の1足らず、ちょうど道北の稚内・豊富・猿払3市町村分しかない。その小さな香川県で、なぜ、遠隔医療ネットワークが進んだのか?医療ITの関係者、特に北海道の人には不思議らしい。

筆者は、香川県庁で6年間勤務し、このネットワークの萌芽期から確立期にかけて関わった。このためか、その「なぜ」についての問い合わせが多く、今回改めてその「なぜ」への見解を整理すべく、現地に出向いた。

香川県の医療IT、最大の目玉は、かがわ遠隔医療ネットワーク、通称K-MIXだ。これを活用して、医療機関相互に検査データや撮影画像、その診断結果を伝送でき、また患者紹介や紹介患者の経過報告を行うことができる。そしてこれらのやり取りは、データセンターに保存され、継続的な医療連携に活用される。

平成15年6月に供用が開始されたK-MIXは、今や県境を越えて岡山県や広島県にも広がり、65の医療機関が参加する。遠隔医療ネットワークの多くが大学病院を中心とした閉鎖的ネットワークであるのに対し、K-MIXは特定の系列性がなく、依頼先の選択も柔軟なオープンな仕組みとなっているのが特徴だ。これは、香川県が事業主体で県医師会が受託運営を行う公的医療インフラとなっていることが反映している。

一方、公的ネットワークとはいえ、参加機関から利用料を徴収し、3年目からは黒字、平成18年以降行政の運営費負担はない。また、黒字の独自財源を使って、地域連携クリティカルパスのシステムを拡充するなど、ネットワークが自立化し、新年度には県医師会に事業移管するという。

もう一つの売りが、妊婦に対する周産期電子カルテネットワーク。このシステムは、医療機関相互の診療支援にとどまらず、妊婦の在宅検診も、また検診データを医師の携帯電話に伝送することも可能だ。平成10年に県モデル事業で誕生したこのシステムは、雅子さまのご出産の際にも活用され、岩手県や千葉県、東京都で利用されるなど、全国展開を始めている。

遠隔医療ネットワークは、専門的医師の診断を通じて医療の質を高め、また、情報の共有化による医療連携や医療の効率化を促進する。また、過疎地で不安にさらされる医師を支援し、医師確保の環境整備に寄与するとともに、患者が住所地で質の高い医療を受けることを可能とし、地域の安心確保と人口流出の防止に役立つであろう。

地域医療が崩壊の危機に瀕する中、拠点病院への医師集約などの対策は講じられつつあるが、遠隔医療への取組みと合わせて地域医療の再編を行うことが必要だ。特に産科は悲惨な状況にあり、産科の医師のいない地域でも助産師などの指導を受けながら保健センターで検診を可能とする周産期電子カルテシステムは、即効性のある対策だ。最近では、地元に産める施設がないから遠隔地に行って中絶するという深刻な事態も発生していると聞く。遠隔医療は地域のセーフティネットの一つとの認識で、地域政策の側面からも積極的な取組みが求められよう。

さて、本題に戻り、その「なぜ」か?紙面の都合上その要因を具体的に挙げることができないが、一つには、オープンなシステムである点や技術的要因、制度的要因から、参加しやすさ・使いやすさを備えていることが挙げられる。

二点目は「小さく生んで着実に育て」てきた点である。多くの意欲的研究が、当初の研究費の豊かさなどから、過大構想・過大投資・参加者の負担なしといった形でスタートし、「金の切れ目が縁の切れ目」の現象を招いている。これに対し、香川県の場合、研究開発段階で国の研究費を活用するが、実用化段階では県単独事業により、目に見える実績を出すことを重視しつつ取り組み、現場の意見を反映させてシステムの改良拡充を図ってきた。

三点目に最大の特徴として、人的・社会的な側面を挙げることができる。
まずは、中核となるべき人物の存在。香川大学の原教授である。原教授は、香川県の医療ITの当初より、終始一貫情熱をもって取り組み、企画設計、研究開発費の調達など中核を担ってきた。原教授なしには香川県の医療ITは語れない。

しかし、原教授だけでなしえたわけではない。県、県医師会、そして事業者それぞれにキーパーソンが存在し、緊密なネットワークを形成し、各主体がそれぞれにふさわしい役割を発揮してきた(行政は、全体的な方向付けやコーディネート、基盤整備を行うなど)。そして、これらキーパースンの活動は、実績を作りつつ、各々の組織事情と相まって、組織の重点方針として戦略化され、取組みがさらに加速することとなった。こうした人的・社会的ネットワークによる好循環が、香川県の医療IT発展の最大の原動力といえよう。

この香川県の取組みは海外からも注目され、オランダ政府の依頼によりハーバード大学行政大学院とデルフト大学の公共政策の研究員・教授が、カナダとデンマークの電子カルテの成功例をも参照しつつ、レポートをまとめている。

「原ファクター」と題するそのレポートによると、イノベーションを引き起こすのは、トップダウン型の改革計画・奨励構造ではなく、プロとしての倫理観・使命感である。予算・制度の枠組みにとらわれず、市民の視点からの実績を出し、段階的に展開していく現実的努力が重要だ。イノベーションの芽が現れた時、それを認知し、育成する。改革者は、進化の調整をすることが必要だ。また、社会的ネットワークが強く多岐にわたるほど改革の成果が高まる。そして、「社会的ネットワークづくりに投資せよ」としているのが面白い。

筆者の分析ともほぼ共通しており、公共政策の推進に当たっては、日頃から人的・社会的ネットワークづくりに努め、このソフトな資源の力を最大限引き出すことが重要だといえる。

ところが、このネットワーク、聞こえはいいが、実は扱いがやっかいな曲者である。別の言い方をすると「コネ」であり、不透明だったり、裁量が利きすぎたりすると「連携・協力」の美名が「便宜」や「情実」「癒着」など「不透明な関係」に変化する。道職員の倫理条例違反の飲食が問題となっているが、これはルールに違反した「連携」。一定のルールに基づき透明性のあるネットワークの形成・活用が大事なのだ。

一方、ルールや透明性を強調すると、「公正」の殻に閉じこもり、ネットワークづくりの努力をまるでしなくなる傾向があるのも事実。そうなると、ただでさえ社会の流れに疎い役所が時代に遅れ、遊離した存在になってしまう。

人的・社会的ネットワークは非常に重要な政策資源である。この際改めて、その重要性を認識の上、「適正な」ネットワークづくりや活用の在り方をついてルールを含めて考え、その拡充や最大限の活用を図っていきたいものである。

菅 正広(公共政策大学院教授)


昨年(2007年)7月、北海道大学公共政策大学院教授の辞令を頂戴し、北海道に赴任してから、実は、「にわか大学教授の北海道単身赴任日記」という日記をつけている。日記をつけると言っても、気の向いた時にPCを叩いて、その日の出来事で新しい発見があったこと、感じたこと、頭に浮かんだことなどをそこはかとなく書きなぐっている程度のものである。毎日書いているわけでもないし、それこそ気の向いた時に書きつけているだけのものだ。今回、その日記を編集し書き下ろすこととした。にわか仕立ての教員が北海道に単身赴任して9か月ほどの間に感じたことを綴ったものとしてお読み頂ければ幸いである。

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単身赴任と言うと男ヤモメのようなわびしい語感があるが、どうしてどうして、この自由はなかなか得難いものだ。単身赴任は実は2度目なのであるが、1度目の単身赴任時(大阪)にはこんな余裕はなかったような気がするから、土地柄のせいか、仕事のせいか、恐らくその両方のせいであろう。

1.まず、土地柄について。北海道の夏はいい。北大キャンパスの夏は特に素晴らしい。8月初めには、イタリアポプラの真っ白な綿毛のようなタネが一斉に空中を浮遊する。まるで童話の世界だ。北大のポプラ並木は田園風景で有名なイタリア北部トスカーナ地方のポプラ並木とよく似ている。冬の間は温室を除いて閉園しているが、北大附属植物園の青い芝生も最高だ。北海道の秋はあっという間の短さだ。大学の後期授業が始まるとともに駆け足で過ぎて行った。しかし、秋空に映えるナナカマドは見事だ。北大キャンパスの紅葉は、京都の名刹のそれとは違った透明感がある。そして冬。2月の雪まつりの頃、大学生の娘が友達と一緒に遊びに来た。我が単身宅に何泊かしてスキー合宿の風情。娘たちにつきあって、キロロではスキーの後、温泉に行った。娘とアフタースキーに温泉に入るという至福の時を過ごした。サッポロテイネでは、西に日本海、東に札幌の「白い街」が広がる絶景に思わず息を呑んだ。シティビュークルーズのゲレンデは最高のパウダースノーだった。北海道の春はこれから経験させてもらうのだが、こちらも実に楽しみだ。なにしろ、長い冬が終わり、ウメ、レンギョウ、サクラなどが一斉に咲き出すという。北大キャンパスの大野池には水芭蕉が美しい花を咲かせることだろう。ギョウジャニンニクやカタクリなどの山菜採りも楽しみだ。

また、北海道の人たちの人間性はオープンである。ある友人は、自分は小さい頃から全国各地に転校が多かったが、唯一北海道でだけはイジメに合わなかったと言っていた。北海道自体が、たいていの場合、元々ヨソからやってきて助け合いながら生きてきた土地柄であることと関係があるのかもしれない。

2.次に、仕事について。大学の仕事も実に面白い。自己規律と自己責任の下ではあるが、こんな自由はめったに得られるものではない。大部分の時間は自分がデザインしたように自由に使える。大学に通うのは学生時代を含めて3回目だが、大学が自由な天地であることは学生にとっても教授にとっても同じだ。宮仕えからの自由、家族からの自由、ストレスからの自由、好きなことを何でもできる自由、何にもしない自由・・・・・。数えたらきりがない。総合博物館と道をはさんで、大学附属図書館に研究室を頂き、知的環境にドップリ浸らせてもらっている。財務省の仕事とは全く違う。研究職というものが初めての経験でもあるせいか、何でも新鮮に感じられる。

(1)まず、教育。北大の学生であるが、いい顔をしている。ギスギスしていない。自然が育むのか、人間性が豊かで、ゆったりしている。あまり背伸びをしない自然体が持ち味か。札幌農学校(現北大)初代教頭であった、かのクラーク博士は ” Boys be ambitious!” とおっしゃったそうであるが、ambitiousな部分が現代人のスマートさに蔽い隠されているのか、学生からあまり感じられないのが気になると言えば気になるのではあるが・・・。

それでも、若い学生はとにかく瑞々しい。単身赴任故に、学食を利用することも多いのだが、先日、学食で夕飯を食べていると、弓道部か合気道部か、道衣を着た学生が向かいのテーブルに座った。やおらタッパーに入れて持参した白いご飯を取り出し、サンマの塩焼き(帰りに学食入口のメニューを確認したら150円也)とみそ汁(同じく30円也)を食べているのを見かけた。「エライぞ!青年。ガンバレ!」とフウテンの寅さん風に声をかけてみたくなったが、頑張っている若者を見ると、最近妙にこちらが勇気をもらったような気がする。年をとったせいか、その世代の人の親となったせいか。

(2)次に、研究。あるテーマ(「国の内外の貧困」と「マイクロファイナンス」)について本を書いている。夏から書き始めて20万字ぐらい書いた。新書は9~10万字、単行本は15万字と言われているので、分量だけは新書2冊分を書いたことになる。M先生のご紹介で、ある出版社から、今秋、初めての本を出版することが決まった。しっかりしたものに仕上げよう。

講義では、財政金融論の中で社会問題への共感を論じている。共感から具体的政策に結び付けるにはどうするか、学生と議論をしては思索を深めている。まさに教えることは学ぶことだ。一般の受け止め方とは異なり、日本には貧困が厳存し、かつ増大している。日本の貧困は、今や例外的な存在ではなく、老若男女に質・量ともに無視できない規模で存在する。捕捉率の低い生活保護世帯、非正規雇用・ネットカフェ難民などのワーキングプア、多重債務者等の貧困はもはや「個人の問題」としてではなく、「社会の問題」として取組むことが必要だと思う。海外に目を転ずれば、10億人もの1日1ドルに満たない生活を余儀なくされ、生命を危険に晒す貧困が存在する。

今年の2月初から、土曜日の夜、農学部のH君が事務局長をしている「北海道の労働と福祉を考える会(労福会)」の夜回りに参加している。夜回りとは、土曜日の夜20時から22時ぐらいまで札幌駅や大通公園などのホームレスの方々に声をかけて缶コーヒーなどを手渡し、お話しをする活動だ。信じられないかもしれないが、冬には零下10度以下にさえなる日もある、この極寒の札幌に少なくとも130人のホームレスの方々がいる。普通の人が持っているイメージとはだいぶ異なり、気さくな人たちだ。社会とのつながりやきずなを求めている。夜回りには誰でも参加できる。関心のある方は是非一度参加してみるのもよいのではないだろうか。

また、ある先生のご好意で、3月半ばにマイクロファイナンスの調査研究のためにバングラデッシュに出張させてもらった(S先生、Y先生そして法学部のTさん、有難うございます!!)マイクロファイナンスの「先進国」であるバングラデッシュには、マイクロファイナンスを研究する者として予て訪ねてみたいと思っていたので、夢がかなった思いだ。グラミン銀行をはじめ、BRACやシャプラニールなどのNGO、バングラデッシュ財務省・中央銀行、アジア開発銀行などの国際金融機関のほか、現地のJBIC、JICA、経済界の方々にもヒアリング調査と意見交換をさせてもらった。また、今回の出張ではグラミン銀行やBRACのマイクロファイナンスの現場をフィールド調査させてもらったが、ハイライトは、一昨年ノーベル平和賞を受賞されたムハマド・ユヌス・グラミン銀行総裁に直接お目にかかってお話しをお伺いする機会を頂いたことだ。在ダッカ日本大使館のご尽力のお蔭だ(I大使、そして最もお世話になったY一等書記官に多謝!! )。ユヌス氏はさすがに人徳者で、カリスマ性のある方だった。バングラデッシュでは、政府に集まる人材とNGOなど民間に集まる人材に大きな差がある。前者に比べて、後者に優秀な人材が集まっていることは至る所で感じられる。幹部のみならず、そこで働く一般職員のモチベーション、インテグリティ、目の輝き、身のこなしなどにおいて圧倒的な差があるのが伝わってくる。出張の模様はいずれ何かにまとめよう。

(3)新しい経験としては、先日ある論文の査読(レフリー)を頼まれて論評した。学問の世界は厳しいことを改めて実感。

研究の合間には、できるだけ違った分野の先生のお話しを伺うようにしている。機会があれば、他分野の先生の講演やシンポジウムにもできるだけ出席する。また、時々お向かいの総合博物館を訪ねる。最近、動物園が面白くなったが、博物館も面白くなった。博物館は頭脳を活性化してくれるそうである。総合博物館がお向かいにあるとは何と贅沢なことか。感謝。感謝。

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昨年12月以降、真冬日が続き北海道の冬はさすがに寒い。道路も凍結してジョギングができなくなったため、スポーツジムに入った。体力測定をやらされ、バイクを漕いだら最大酸素摂取量(VO2max)が57ml/kg/minで、体力年齢はナント21歳と出た。「マサカ? いくらなんでも」と思い次の日もやってみたが、同じ結果。最近、よくいろいろな人から学生にハッパをかけてやって下さいと言われるが、学生にambitiousなチャレンジをすすめても「先生がやってみて下さい。」と言われる。実際にそうは言わなくとも目が言っているのが分かる。ヨシッ。この体力年齢なら、あとは精神年齢を若く保てば、新しいチャレンジでも学生諸君とドッコイドッコイの勝負ができるのではないかと年寄りの冷や水のようなことを考えなくもない。しかし、ご注進、ご注進。暫くは隠忍自重だ。warm heart, cool headで徹底的に詰めよう。そして、学生諸君とは本音でじっくり話してみよう。そんな風に考えられるのも、いろいろな制約からの自由、そして考える時間を持てる自由を享受できる大学教授の特権ではないか。つくづく有難いことだと改めて感謝の念がこみ上げてくる昨今である。

青塚 英和(公共政策大学院特任助手)


皆さんは今この時期、就職活動も佳境に入っており、エントリーシートに記入するため自己PRや志望動機を考えるのに苦労していると思います。「なぜその会社に入りたいのか」「なぜその官庁でなければならないのか」「自分はどんな人間なのか」等、悩みながら考えていると思います。

こういった就職活動で必要なことに、「自己分析」があります。自己分析とは「自分探し」をすること、と巷の就職本にはあります。

自己分析は、自分の過去を遡ることによって「過去の自分」がいかにして「現時点での自分」を形成してきたのか、それを知るために行うものです。では、自己分析を行った結果見えてくるものは果たして100%の「本当の自分」なのでしょうか。おそらく、半分Yesで半分Noです。

人間は、何かしら「なりたい自分」「理想の自分」というものを持っています。例えば過去に自分に対して苛立ち、または落ち込んで「本当の自分はこうではない」と感じた経験があるとすれば、それは「なりたい自分」「こうありたい自分」と今の自分との間にあるギャップを感じ、それを受け入れられなかっただけなのです。

つまり、「本当の自分」とは現在の自分だけでなく「なりたい自分」「理想の自分」というものであって、今完全な形では存在しないものです。自己分析とは「理想の自分」と「現在の自分」とのギャップを知るために行うものなのです。

これらからもう一度「自己PR」と「志望動機」を見ると

「自己PR」=過去の自分から得た「現在の自分」を伝える事
「志望動機」=「未来の自分」「理想の自分」となるための手段(としてその
会社が必要なこと)

と言えるでしょう。

就職は「なりたい自分」としての「理想の自分」となるための手段です。皆さんが「なりたい自分」になれるよう、十分に考えて選択して頂きたいと思います。

松浦 正孝(公共政策大学院教授)


何気なくテレビをつけたら、『バブルGO!!タイムマシンはドラム式』(ホイチョイ・プロダクションズ、2007年2月公開)という映画が始まっていた。2007年からバブル崩壊の契機となった1990年へ、ドラム式洗濯機を改良したタイムマシンでトリップし、バブル崩壊がもたらした日本経済の破綻をリセットしようという、クレヨンしんちゃんも真っ青のストーリーである。清純派で売り出したもののみるみるうちに崩れた広末涼子おねいさんも、疲れたかつての「角川三人娘」薬師丸ひろ子おねいさんも痛々しかったが、それはそれで味となって、何とはなしにおしまいまで見てしまった。また今日もお勉強できなかった・・・(よい子はマネしないように)。

それはそれとして、『私をスキーに連れてって』(1987年公開)と同じホイチョイの馬場康夫監督の作品というところに、甘酸っぱい懐かしさと自虐的な哀愁を感じた(ちなみに、三上博史は今も舞台などで活躍している)。エズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の原著が出たのが1979年、不肖私が大学に入学したのが1981年だったから、私たちの世代は学生運動の残り香すら嗅げなかった(折角ロシア語クラスに入ったというのに)。教養学部の門を入ると、ミンセーの人が一人ハンドマイクで声を張り上げて呼びかけをしているだけで学生たちは足も止めず、「佐藤・衛藤・公文の3反動教授打倒!!」(彼らは、大平内閣・中曽根内閣のブレーンだった。おまけに、後から、公文氏は、リクルート事件に際して未公開株をちゃっかり貰っていたことが発覚した。)という立て看がポツンと立っていた。庄司薫の小説で読んだような、ヘルメット姿に覆面の「怪傑黒頭巾」風のおにいさん達は、とっくにいなかった。その代わり、私たち(金子勝慶大教授命名するところの「大陥没世代」)は、バブルだけはどっぷり体験した。時は、ディスコ・ブーム、ボートハウスの店に並び、闊歩するボディコンのおねいさんたちを眺めた。ユーミンとサザンと松田聖子のカセットテープ(!)が、仲間とスキーへ行くクルマ(セリカではなかったけれど)の必需品だった。あげくの果てには、パウダー・スノーを求めて北海道にまで何度も飛んできた(その後罰があたって腰痛持ちとなり、北海道に移住したというのにスキーはできなくなった)。その一方で、沖縄のリゾートやライブハウスにも足を運ぶようになった。夜はもちろん、史料館へ行っても、昼から恵比寿の鮨屋でビールを飲んでいた(その後、罰があたってビールまで飲めなくなった)。お金は、アルバイトで何とかなった。後輩達に追い越され、博士論文を書くのにずいぶん時間がかかった。何してるんだか・・・(よい子はマネしないように)。今の北大生には全く想像もできない話らしい。恥ずかしいこともたくさんあったけれど、それでも何とかなる時代だった(折角だから、もっと遊んでおけば良かった!?)。それが私たちのバブル(経済膨張)の時代だった。

それから20年後へGO!!
2007年度後期学部ゼミの最後に、村上泰亮・公文俊平・佐藤誠三郎『文明としてのイエ社会』(中央公論社、1979年)を読んだ。大学に入った時、仲間達と一緒に読んだが、とても難しかった。今でも、このもったいぶった文章は何とかならないかと思う。しかし、西欧式の単線的発展論に反発して、複合分野による自前の学問を打ち立てようとする熱意は、今でも伝わってくる。その後30年間の日本史などにおける蓄積は、さすがに、この本の中身を色褪せたものにしている。今回改めて何よりも強く感じたのは、これが、西欧式と対抗する日本式によるギラギラの近代化論だということだ。猿真似でない独自の日本型システム研究の試みから学び直そうという私の気持ちは、時代背景をあまりに強く反映した主張の前に、少し萎えてしまった。学生たちも、経済成長礼賛のにおいに、戸惑いを隠さなかった。何よりも、この本では、バブル崩壊後の日本経済の凋落やアメリカの衰退と、それに代わる中国・インドなどの台頭が全く予測されていないし、環境問題や少子高齢化社会の深刻化の速度は、想像を絶するものだったようだ(それにしても、地球はあと何年保つのだろう)。

しかし、最終の第14章でなされている未来予想のシナリオは、おもしろかった。日本の社会システムが、将来(つまりは現在)どうなるか。イエ制度の根幹である家族については、結びつきが強化され、個人化はしないと予想されていてハズレ。どさくさに紛れて、小さな字で、今後各イエには3人以上の子供が必要、などと書いてある。企業については、メンバーに対する包摂・配慮が拡大すると予想され、凝集性が低下するとしても欧米よりは帰属集団的性格が強く残るだろうとされている。日本企業による社員の外部化、切り捨ては思いもよらなかったらしい。国際関係については、日米協調路線と「アジア主義」とが可能性として予測されていて、これは現在の動向に当てはまっているように見えるが、後者は自給経済化を伴うと書かれているので、アジアとりわけ中国への経済依存については全く見えていない。産業化を抑制することになる地球環境の危機については、だいぶ先のことになるだろうと考えられている。いずれも、日本を含む産業発展と経済成長が当分継続すると考え、その凋落や中国など「後進国」の発展が見通されていない欠陥は否定できないし、「核家族」化するにせよイエ型社会という日本の本質は変わらない、という大前提も思いこみが強すぎる。PCやケータイなどによる個人のアトム化や、少子化、非婚化、格差社会の現状を、ご存命の公文氏などはどう見るのだろうか。(しかし、前述のような学生時代を送って難しいことは何も考えなかった私に、彼らを批判する資格はない。)

但し、政治システムの予想については、二大政党の政権交代路線と「大連立」路線との併存により、「弱い民主主義」への後退が起こって、他国依存型国家へと転落する可能性を強く示唆しており、この点は、正に現在の状況を正確に言い当てているように見える。「イエ」を日本社会の本質と見て分析する視角は、政治システムについては的確であったと言えそうだ。もっとも、理論的には、この「ウジ」型、「イエ」型、「ムラ」型の3つの類型相互の関係、とりわけ後二者の関係について、もっと説明して欲しいという感を、私はこの本を読む間、ずっと持ち続けた。「ムラ」の記述が少なすぎるのではないだろうか。規制緩和、新自由主義、町村合併などによる地方社会・共同体の解体の結果、失われた「ムラ」への郷愁が強まっている現在、宮崎学『現代ヤクザ肯定論』(筑摩書房、2007年)のように、「アジール」にもなりうる伝統的な「組」的・「ムラ」的絆を基盤に日本近代を見る視角の方が、より説得力を持つように思われる。宮崎氏の、下層社会・周縁社会を、かつての社会学・民俗学の成果に依拠しながら事実に即して分析する手法には、強い共感と感動を覚える。日本経済新聞に現在連載中の北方謙三「望郷の道」も、九州遠賀川出身の博徒が台湾で事業を興す物語だ。財界生成の歴史については、かつて私も、「ムラ」モデルを使って分析したことがある(『財界の政治経済史』東京大学出版会、2002年)。日本政党史、労働運動史も、国際関係史も、今後、大きく書き換えられていくだろう。

歴史は、これから、ますます面白くなっていく。

肥前 洋一(公共政策大学院准教授)


私はミクロ経済学の授業を担当している。理論科目でしばしば問われるのは、「実際に役に立つのか」である。

ひとことで「役に立つ」といっても、2通りの意味がある。たとえば、宝探しの旅に出るとしよう。いちばん役に立つのは、「ここに宝が埋まっている」という情報である。それさえ知っていれば、そこへ直行して掘るだけでよい。この種の情報は、役に立つという点でわかりやすく、多くの学生が求めるものである。

しかしながら、その情報は、もう一度宝探しに行こうとするときには役に立たない。もちろん、「前回と同じような場所に埋まっているのではないか」と目処を付けることはできるが、それはたった1つのサンプルから導かれた心もとない予想であって、毎回同じような場所に埋まっているとは限らない。過去の宝探しから今回の宝の在り処を推測するためには、十分に多くのサンプルを集めて法則性を見出さなければならない(帰納法)。

理論科目を勉強するということは、1つの学問の論理に従って、どこに宝が埋まっているかを自分の頭で推理する力を身に付けるということである(演繹法)。この種の力は、「ここに宝が埋まっている」という情報に比べると遠回りである。さらに、論理の前提が現実をうまくとらえていない限り、論理的にはここにあるはずとされた場所を掘ってみても宝は出てこない。しかしながら、何度宝探しに行っても使える力である。

大学院では、「ここに宝が埋まっている」という情報を収集する力を身に付けるとともに、情報が得られなくても自分の頭で対処できるよう、1つの学問の論理体系を身に付けていただきたい。とりわけ前例のない新しい問題に直面したときには、後者が役に立つだろう。「この学問の論理に従えば、こうなっているはずだ。実際はどうだろうか。」という問題意識を抱いたうえで事例研究の授業に出れば、その論理がどのような場面で自分の助けになるかが見えてくる。さらには、文理融合でさまざまな学問の授業が開講されているという公共政策大学院の利点を活かして、「学問Aの論理に従えばaだが、学問Bの論理に従えばbである。」のように、いくつかの論理を使って比較できるようになれば、より多角的かつ客観的に判断が下せるようになるだろう。
中辻  隆(公共政策大学院教授)


ここはバンコク郊外、田んぼに囲まれた田園地帯を走る、片側1車線の道路。先刻から車群の先頭で運転する私の心は長閑な風景とは裏腹に緊張感が高まる。「来た!!」。向こうに見える対向車の車群の中から、都市間バスが時速100km/hと思われる猛烈な勢いで、私が走る車線を利用して追い越しを掛けて来るのが見える。しかもパッシングをしながら(タイでは、パッシングは日本とは逆で、「おれの進路を邪魔するな」を意味)。通行権を有する私も一応はパッシングを返すが、力が全てを決する世界。すばやく路肩車線に逃げることを考える。「ウオッー!!」。私の車のずっと後ろにいたはずのピックアップトラックが、路肩車線を使って私の車スレスレに追い越しを掛けて来る。「フッー」。何とかピックアップの後ろに廻って路肩に逃れバスを避ける。「クソッタレ、バスめ」と呟くも完全に負け犬状態。

ここは、ミュンヘンから北方200km程のレーゲンスブルグからミュンヘンに向かうアウトバーン。夜8時を過ぎても昼間からの小糠雨は止まず、霧も濃くなり、ヘッドライトを遠目にしても、辛うじて数十m先が薄ぼんやり見えるだけ。安全のため時速を100km/hに抑えて行くことにする。「他のドライバーも同じ状況だから早く前を走る車を捉まえよう」。「ビューン」と追い越し車線をベンツが駈け抜けて行く。「オイオイ、150や200近い速度だぞ!!」。また直ぐにBMWが同じような速度で追い越して行く。結局、私が期待した速度で走っている車はトンと見かけず殆どが、ルームミラーに灯りが見えたと思ったらあっという間に「ビューン」と私の横を追い抜いていく。「クワバラ、クワバラ」こんなところを走っていたら殺される。慌てて次のインターで降りて、ホテルを探すことにする。

上の例は、私がタイ国内やドイツを走っていて実際に経験したことです。タイなどのアジア各国に行くと、わが国や欧米諸国では見かけない多くの交通手段(タイのトックトック、シムロ、インドネシヤのリキシャなど)だけでなく運転ルールマナーも大きく異なります。それだけでなく、道路の作りが全く異なることに気付きます。タイの道路を特徴つけるものにU-Turn区間とフライオーバがあり、信号交差点は極端に少ない道路構造になっています(写真―1、2)。例えば、幹線道路を利用して郊外から都心に向かう場合に、幹線道路には右折(タイは日本と同じ左側通行)で入りたい状況にあったとします。いわゆる十字交差点がないところが多く、分離帯のために右折が出来ない状況に数多く遭遇したとします。こうした場合には、先ず左折によって一端反対方向に向かって走り、分離帯の一部が開口しているU-turn区間部でUターンを行って初めて自分の行きたい方向に向かうことを余儀なくされます。交通量が多くてUターンが難しいところでは、立体交差でUターンをさせます。

このU-Turn区間が交通渋滞や交通事故の原因となっていることは、多くの研究者や交通技術者が指摘している通りです。私も10年前にJICA専門家として赴任したときに、「タイには交通技術者はいないのか」と真剣に思ったものでした。それでも、タイの人たちは、せっせとフライオーバの建設に汗を流しています。2年間タイに在職しその間、タイ国内の多くの道路走り初めて、U-Turn区間とフライオーバはタイの人々のメンタリティそのものであることを理解しました。すなわち、タイの人々は母なる川チャオプラヤ川に代表されるように「川の民」なのです。本流(幹線道路)を走っているときに支流(測道)の流れに邪魔されるのを嫌っているのだと思います。改めて地図を見ると、幹線(タノン)と袋小路の測道(ソイ)から構成されている街の作りも川の流れの反映であることが見えてきます。タイの人が日本に来ると信号交差点の多さに驚くようです。赤信号で、ズタズタに止められる日本の道路での運転は彼らには快適(サバイサバイ)ではないだろうなと思ってしまいます。

写真1、写真2

タイ人や日本人に限らず、中国人などはもっとその傾向が強いと感じていますが、アジアの人々は群れることに対する心理的抵抗感が小さいように思います。すし詰めの通勤電車・バス、8畳間に10人以上も雑魚寝、ウサギ小屋あるいは豚小屋とも言われる密集した家屋などなど、これらは日本も含めたアジア各国でよく見られる風景です。これに対して欧米人は、近くに他人が接近するのをあまり好まないように思います。郊外に隣家との距離を十分とって家を建てるのは単に土地が安くて豊富なだけではないような気がします。全くのド素人の見解ですが、狩猟民族の末裔であるゲルマン人などは、獲物を効率よく捕獲するために単独行動を好んだのではないでしょうか?ステレオタイプ的な見方ですが、昼なお暗い黒い森の奥に獲物を求めて息を潜めている、そのようなイメージがあります。ドイツ人のお宅にお邪魔すると、部屋全体を明るくする大きな蛍光灯などはなく、部屋の中にいくつも用意されたスタンドによる手元照明になっていることが多く部屋全体としては暗い印象を持ちますが、そういった環境が彼らにとっては快適なように感じます。

アウトバーンは速度無制限(実際には都市周辺や山岳部では多くの速度規制)ということで、危険な印象をもつ人もいますが、車線ごとに暗黙の走行速度を守り、自分より早い車が後ろから来たら譲る、あるいは内側追い越しはしないなどのルールを守ると、アウトバーンほど安全な道路はないと思えて来るほどです。しかし、夜、それも雨の夜は全く別だというのが1年間ドイツに暮らし、旧東ドイツも含め殆どのアウトバーンを走っての実感です。夜暗くなると農作業は出来ないので早々と就寝していた農耕民族の末裔であるアジア人と、夜の森の中を移動して獣を追いかけていたゲルマン人の末裔であるドイツ人とは、夜の視力、特に雨の夜の動体視力が全く違うなとつくづく思いました。

大仰な言い方ですが、アウトバーンを走ると黒い森の湿った匂いがし、タイ国内の道路を走るとパクチ(タイ料理に含まれる香辛料)の香りがします。翻って、並行する国道が片側2車線であるのに”暫定”という名の恒久片側1車線の高速道路、雄大な大地にはそぐわない窮屈な道路線形、20年待っても、30年待って形成されないネットワーク、こうした状況にある北海道の道路はどんな香りがするでしょうか?雄大な大地や自然が北海道の道路の匂いに含まれているでしょうか?私は、開発途上国から留学生が来た時には、出来る限り日勝峠に連れて行くようにしています。「日本の高速道路網が未だ完成していないのに、日本はおまえの国の道路建設に多額な資金を提供しているのだよ」ということを理解してもらうこともありますが、札樽自動車道の開通から30年以上たっても道央と道東とのリンクが出来ない理由を考えてもらうためです。10年前初めてバンコクから北部のチェンマイ、北東部のノンカイ、あるいは東部のウボンまで走った時には、100km/h以上の高速走行できる区間が半分もなかったにも拘わらず、ここ1,2年の間に再度走った時にほぼ全線で高速走行ができる状態になっているのも身をもって体験すると、高架構造の高速道路を造らなくても高速走向を可能とする道路網を形成することが可能であること、逆に北海道開発局と高速自動車(株)(旧JH)の縦割り行政が諸悪の根源であることがマザマザと理解できます。留学生に30年たっても繋がらない道路を反面教師として考えてもらいたいと思って彼らを日勝峠に案内しています。また、こうした行政を学問として裏で支えていたのは誰なのかという批判は甘んじて受けなければならないと考えています。

バンコクが世界一の渋滞都市との汚名をもって久しく、内外の大学や多くの国際機関から山ほどの処方箋が提案されています。中には、欧米諸国や日本での経験のみをベースにし、U-Turn区間をやめて信号交差点の導入や、袋小路のソイを潰して格子状の都市構造にすることも提案されています。しかしながら、パクチの臭いがしないものは長い目でみてタイの人々に受け入れてもらえないだろうというのが2年間の滞在で学んだことです。道路・交通の問題を考えるには、その国の文化や歴史に対する理解が重要であるということだと思います。こうしたことは他の開発途上国でも全く同じだろうと思います。今後とも、開発途上国の道路・交通問題に関わり、留学生、そして日本の学生と一緒に”パクチの香りがする道路”を考えて行きたいと思っています。
遠藤 乾(公共政策大学院教授)


最近、ひっそりとだれにも知られずに亡くなっていた老人のニュースを耳にしはしないだろうか。背景にあるのは、有史以来初めての現象である。近年、日本では、一人暮らしのハウルホールド=家庭の数が、全体の1/4を越えた。言うまでもなく、少子化、高齢化、晩婚化、都市化などさまざまな要因がそれにまとわりついている。

これは、日本だけの現象ではない。隣の韓国、台湾、香港、そして中国大陸の沿岸部は、軒並み同様の傾向を示している。経済がグローバル化し、投資が都市沿岸部に集まり、人々がそこに殺到し、気がつくとみな似たようなアパートで、DINKS (Double Income No Kids)やせいぜい子供を一人設けるのが精一杯な家庭が数多く再生産されている。それが「不健全だ」などとどこかの大臣のような説教をしているのではない。これらは一連のプロセスとして目の前にあるのである。そこでは世代間バランスが軒並み崩れ、よく見かける人口動態の逆ピラミッド型の高齢化社会がひたひたと忍び寄る。いきおい関心が年金制度に向かいがちだが、ここで興味深いのは、これらのプロセスに伴い、介護、子育て、お手伝いなど、広い意味でのケアが、国境を越えてグローバルに提供され始めていることだ。

日本以上のスピードで少子高齢化が進む台湾や香港では、フィリピン・インドネシア・タイ・ヴェトナムなど、東南アジアの諸国から、多くのケア労働者を受け入れている。無理もない。国内でそれを確保しようとすると、高くつく。当然、安い賃金で、長時間働くのをいとわない、外国人の女性に向かう。

なかには、国際結婚してしまうケースもある。韓国の農村部でも、あるいは秋田などの日本の東北地方でも、嫁をフィリピンやタイから連れてくるのは、もはや珍しいことではない。ことは田舎だけの話ではもちろんない。斡旋業者などのネットワークを通じて、都市部でも国際結婚は増え続けている。台湾全体で新婚カップルの5つに1つは国際結婚であり、日本でも東京を中心に都市部の国際結婚は確実に増加している(新規結婚の5%)。

ハウスホールド=家庭は、私的領域における新しいダイナミズムを捉える概念として注目されている。それは、血縁家族よりも広い概念であり、お手伝いさん、介護士、Nanny(乳母)やAu Pair(家事手伝い留学生)、あるいは国際養子縁組、国際見合い結婚などを射程に収めている。グローバル化は、金融や技術のはなしだけではない。こうしたハウルホールド=家庭のような親密圏にも、浸透しつつあるのである。

少子高齢化が進行する日本でも、過酷で薄給なケア労働の実態ともあいまって、ケアのあり方、ひいてはハウスホールド=家庭が国際化してゆく可能性が高まっている。自由貿易(FTA)交渉におけるフィリピン看護師の問題などもそのひとつの顕れと見ることもできよう。

このハウスホールド=家庭のガバナンスには、現状への鋭い観察と幅広い視野やバランス感覚が要求されよう。というのも、これには、人口動態・世代間構成、リプロダクション、ケア労働の需給の問題はもちろん、外国人の差別、あるいは女性の人権の問題など、一筋縄ではいかない争点が潜んでいるためである。どれかだけにひきつけて「解決」しようとすると、かならず問題がねじれる。したがって、人口学、移民・エスニシティ研究、国際関係、労働経済学はもちろん、フェミニズム研究などの学融合が求められる現場でもある。

より具体的にいくつかの課題を示してみよう。たとえば、フェミニズムの理論と実践への問いかけは結構深刻だ。上のような現象は、あるいは、女性の家事労働を前提としている!という批判的見地からのみアプローチされるかもしれない。他方、日本などの先進国市民の間で両性平等へ接近しようと努力している傍ら、実態として、ハウルホールド=家庭という身近な空間で、世界システムにおける不平等を(女性同士の間の分業を通じて)再生産しているなどという洒落にならない事態をももたらしかねない。それではと、国境を閉めてしまえば、今度は世界大の格差にふたをする機能を果たすだろう。

もうすこし政策に近いはなしで締めくくろう。一人子政策の影響の下、大陸中国という人口13億の巨大な国において、5歳以下の男女比が、120対100と相当アンバランスになっている。その結果、近い将来、東アジアにおける人口移動の圧力が増す可能性がある。最近の報道では、インドなどにも類似の現象が予想されている。そうすると、どうなるだろうか。東アジアから、花嫁がいなくなる?

現在は、多くの人が、フィリピンやインドネシアの介護士の流入をいかに制限するか、という問題の立て方をしている。しかしながら、近い将来は、東アジアにおけるケア移民労働者の取り合いという様相を呈しているかもしれない。その意味でも、ハウスホールド=家庭は、目が離せない事象なのである。

最近、いくつかの予備会合を経て、以下の2つの大規模な国際会議を開いた:

「家庭のグローバル化―東アジア先進諸国の比較検討―(Global Householding: A Comparison among High-Income Economies of East Asia)、北海道大学、札幌、2006年2月7-8日
「グローバルな移民と東アジアにおける家庭(Global Migration and the Household in East Asia)」、Pai Chai(培材)大学、ソウル、2007年2月2-3日。
これらは、すでに英文ジャーナルの特集号(International Development Planning Review, Vol. 28, No. 4)などを始め、いくつかの媒体に発表されつつある。日本語では、学術振興会のの選書シリーズの1冊『グローバル・ガバナンスの最前線』(東信堂、2007年末刊行予定)において、一章を割き、問題提起をはかろうと考えている。
蟹江 俊仁(公共政策大学院教授)


少し前になるが、当時読売新聞論説委員をされていた科学ジャーナリストの中村政雄氏が、ある団体の機関誌に興味深いコラムを寄せていた。「100年後を予想した明治人」と題するそのコラム*は、まさに20世紀を迎えたばかりの1901年正月、報知新聞(現読売新聞)が掲載した「二十世紀の豫言」という、100年前の明治人が抱いた「未来予想図」を紹介しながら、これからの百年が如何に予想しづらく、洞察力に優れたリーダーを必要とするかで結ばれている。改めてこのコラムを読み返すとき、ますます混迷の度合いを深める現代において、その重要性を再認識する次第である。
そこに紹介された明治人の100年後の予想は全23項目にも及び、その多くが実に見事に的中している。曰く、

「無線電信および電話・・マルコニー氏発明の無線電信は一層進歩して只だに電信のみならず、無線電話は世界諸国に連絡して東京に在るものがロンドン、ニューヨークにある友人と自由に對話することを得べし。」

「遠距離の写真・・数十年の後欧州の天に戦雲暗澹たるとあらん時、東京の新聞記者は編集局にいながら電気力によりて其状況を早取写真となることを得べく、而して其写真は天然色を現象すべし。」

「人声十里に達す・・傳声器の改良ありて、十里の遠きを隔たる男女互に婉々たる情話をなすことを得べし。」

「買物便法・・写真電話によりて遠距離にある品物を鑑定し、且つ売買の契約を整へ、其品物は地中鉄管の装置によりて瞬時に落手することを得ん。」

「鉄道の速力・・(一部略)ただに冬期室内を暖むるのみならず、暑中には之に冷気を催すの装置あるべく、而して速力は通常一分時に二哩、急行ならば一時間百五十哩以上を進行し、東京、神戸間は二時間半を要し、また今日四日半を要するニューヨーク、サンフランシスコ間は一昼夜にて通ずべし。」

「自動車の世・・馬車は廃せられ、之に代ふるに自動車は廉価に購ふことを得べく、また軍用にも自転車および自動車を以て馬に代ふることとなるべし。従つて馬なるものは僅かに好奇者によりて飼養せらるるに至るべし。」

国際通話が可能な携帯電話も普及し、インターネットを使った写真の送信や動画映像つき通話など、もはや当然となった現在の様子はまさに豫言通りと言えよう。公共の場でも携帯電話を片手に雑談に興じる今の若者たちの姿をも、明治の人たちは想像していたのだろうか?買物便法は、地中鉄管の装置こそないものの、テレビショッピングやインターネット通販として日常生活に定着している。新幹線は高速化を進め、東京大阪間が正に二時間半。自動車は手軽に買える身近な交通手段となり、乗馬はむしろ「特別な趣味」の領域に属するだろう。これらの豫言には、科学技術の進歩に対する大きな夢と期待が感じられる。その一方、

「野獣の滅亡・・アフリカの原野に至るも獅子、虎、鰐魚等の野獣を見ること能はず、彼等は僅かに大都会の博物館に余命を継ぐべし。」

これなどは見事な的中ぶりで、進歩や発展の背後で同時に発生する負の影響への懸念も忘れてはいない。その他、

「人と獣との会話自在・・獣語の研究進歩して、小学校に獣語科あり、人と犬、猫、猿とは、自由に對話することを得るに至り、従つて下女下男の地位は多く犬によりて占められ、犬が人の使いに歩く世となるべし。」

「幼稚園の廃止・・人智は遺傳によりて大に発達し、且つ家庭に無教育の人無きを以て幼稚園の用無く、男女共に大学を卒業せざれば一人前と見做されざるにいたらむ。」

幼稚園こそなくなってはいないが、大学を出るのが当たり前となった現代、下女下男という言葉自体が死語となっている。残念ながら、犬が人の使いに歩くことはないものの、ロボット技術の発達はそれに近いものがあると言えよう。
これらの豫言だけでも興味深く面白いが、何よりもその豊かな想像力と洞察力は驚嘆に値する。1901年(明治34年)と言えば、ようやく蒸気機関車による鉄道が普及しはじめ、近代化の歩みが庶民に実感されるようになるとともに、列強諸国への追随を国家目標としていた時代である。進むべき道筋が、社会にも個人にも明確であったことが、このような見通しを可能にしたのだろうか?あるいは、「飽食の世にはない、時代を見通す研ぎ澄まされた心」(中村氏)が明治人にはあったのだろうか。科学技術の進歩につれて人間の能力も進歩するものではないことは明白である。しかし、想像力や洞察力といった大事な資質を現代人はむしろ退化させているようにさえ思われる。
物質的な充足度が増し、人々の欲求や欲望のエントロピーが増大するにつれ、人類の未来はますます不透明になっている。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の評価報告書は回を重ねるごとに深刻さを増し、これからの百年は、人類の存亡にさえ関わる重要な時代になることは明らかである。決して遠くはない先、50年、30年といった未来を見据えて、今、私たちにできて、しなければならないことは何なのか。研ぎ澄まされた感性と文理の壁を超えた幅広い知見に基づく、「豊かな想像力と卓抜した洞察力」を持った人材が、今こそ求められている。


佐藤 馨一(公共政策大学院教授)


平成17年4月から公共政策大学院において教鞭をとり、19年3月末日でその任を終えるにあたり宮脇院長を始めとする教員各位と、事務職員の方々に心からのお礼を申し上げます。とくに第1期の学生には大いなる感謝の念を捧げます。

18年3月、教務委員会の川島先生から技術政策学担当の教員が呼び出され、この講義の学生授業アンケート評価があまりに悪く、善処が求められた。「何が問題か」と聞いたところ、複数の教員によるオムニバスの講義であること、さらに技術政策学の全体像が分からないことに不満が集中している、とのことであった。オムニバスであることは技術政策学の多様性からやむを得ないとしても、学生が技術政策学の全体像を求めていることに戸惑いを覚えた。私自身が技術政策学の全体像を持っていなかったからである。そこで川島先生に「どなたの講義の評価が高かったですか」と聞いたところ、最初に法哲学を論じ、その後で分野別の法理論を展開し、最後に多少の事例紹介をする某先生の講義でした、と説明された。

私の講義は技術政策に関する問題事例をたくさん紹介し、そこから共通性をまとめ、普遍性を見出す方法を論じていた。某先生の講義は演繹論からのアプローチであり、私は帰納論からのアプローチによる講義を行っていた。演繹論的講義に慣れた法文系の学生にすれば、事例をくだくだと述べる帰納論的講義は全体像の見えないものであり、不満が募ったこともよく理解できた。しかし工学では全体像が見えない現象を、新しい装置を開発して測定し、データを分析し、理論を打ち立て、対策を講じてきた。

北大公共政策大学院は文理融合であることが特色になっているが、文系および理系の学生の受けてきた講義の方式によって、これほど学生の認識法が異なっていることは想定外であった。行政における事務官と技官の対立は、物事を演繹的に見るか、帰納的に見るかの違いであることが公共政策大学院の講義を通じて理解した。公共政策を立案し、それを実行に移すにはこの二つのアプローチが不可欠であり、わが大学院ではそれを教えてきたのである。

公共政策大学院の学生を教えながら、学生に教えられたことが私にとって最も大切なお土産であり、19年4月から工学研究科教授に復職する。

石井 吉春(公共政策大学院教授)


小泉内閣は、経済構造改革の一環として官から民への流れを加速させており、民間資金活用による社会資本整備(PFI)や民営化など、いわゆる民間化政策(PPP)を積極的に推進している。いずれも行政が手掛ける事業やサービスを民間に任せることで、サービスの質の向上や効率化を進め、さらには財政収支の改善などを図るのが目的だ。

現在進められている年金福祉施設の処分問題も、不要資産の処分といった面も含まれているものの、大枠は民間化の流れのなかで受け止めることができるだろう。
この問題は、保険料の無駄遣いとの批判を受けて、2004年3月、与党年金制度改革協議会で年金福祉施設見直しが合意され、厚生年金会館など約300の施設の整理合理化を進めることになったものだ。2005年10月には、「年金・健康保険福祉施設整理機構」が発足し、全ての施設を5年以内に譲渡又は廃止し、譲渡益は国の特別会計に戻入することとされた経緯にある。
この問題は、あえて今日的な視点から見ると、二つの論点に整理できるように思う。一つは、国が年金資金という有償資金を用いて、施設整備を行ってきた点だ。一部収益施設を併設した事例もあるものの、収益だけで元利償還を行うのが困難なのは明らかと思える施設がほとんどだからだ。もう一つは、地域の文化施設などを国が整備することをどう位置づけるかということだ。それぞれの施設が整備された事情は斟酌する必要があると思うが、主要都市にホールを保有することなどを、国の仕事とはなかなか整理しにくいだろう。
そう考えると、処分という方向自体はやむをえないと言わざるを得ないのだろう。その一方で、敷地の最適利用という視点のみで処分すれば、一等地に立地する各厚生年金会館などは安直に取り壊され、跡地で商業開発や住宅開発が行われるのは確実と考えられ、施設の公共性を踏まえた処分の視点も必要になるという点も忘れてはならないように思う。すでに役割を終えた施設などは論外であるが、公共性を十分発揮している施設は、機能維持と両立する方向で売却を図っていく必要があると言えよう。

幸い、筆者が関わってきた「北海道札幌厚生年金会館」については、官民あげての存続運動のかいあってか、機構の中期目標において、同一都道府県内に代替施設がないことからその中心的機能を維持することが必要な施設と位置づけられ「一定期間施設の中心的な機能を維持することを譲渡条件とすること」が明示されることになった。同会館の2,300人(大ホール)の収容力とオペラも開催できるステージは、クラシック専用ホール「Kitara」や「札幌ドーム」が完成してなお、地域文化の発信基地として欠かせない役割を担っているからだ。
したがって、いよいよ、存続がどのような前提のもとで可能となるのかを具体的に組み 立てていくべき段階に入る。従来の発想から言えば、地元自治体が買ってくれるのが早道にも考えられよう。しかしながら、厳しい財政制約や収益施設を併設する施設現況から考えると、地元自治体が取得するシナリオは極めて難しいとみられる。しからば、民間単独での事業継承という方法も、現状ほとんどキャッシュフローを生んでいない事業収支をみる限りは不可能と言わざるを得ない。
結局、施設の性格から採算が取りにくい事業であることは否めないものの、様々な工夫を凝らして、公民連携による運営を何とか可能にできないか、という方向が唯一の可能性となるのだろう。そして、その際のおそらくポイントは二つに集約されると思われる。
一つは、行財政の持続可能性も踏まえ、厚生年金会館の存続のために、例えば老朽化している市民会館の廃止を市民自らが打ち出すことだ。こうした取捨選択の発想がなければ、結局、行政の効率化を市民自らが否定することにつながるからだ。もう一つは、官が一定の資金負担をする一方、民間側も自ら存続に資金・運営面などで一定の役割を担うことだ。具体的には、併設されるホテル運営の効率化やネーミング・ライツ(ホールの命名権)の売却、さらには企業や市民が協力して地元芸術団体や道出身アーティストによるチャリティー・コンサートの開催を手掛けることなどが考えられる。
幸い、昨今は類似の話がいくつか出てきた。東京の中野サンプラザで、地元自治体と民間の協働により施設の維持・民間化が実現したことは大いに参考になるだろう。

厚生年金会館のために、さまざまなジャンルの音楽関係者や文化団体、さらには経済団体などが、単なる存続運動ではない市民運動に立ち上がろうとしており、先日、松山千春さんなどが舞台に立って第1回目のチャリティコンサートも行われた。市民サイドがここまで踏み込んだ試みは、全国的にみてもまだ例はないが、依然として手法も含めハードルは高い。
それでも、財政的に危機的な状況に立つ中で、北海道は、ますます自立に向けて自らの足で第一歩を踏み出すことができるかどうかが問われているのだと思う。他地域が元気印になっていく中で、北海道経済のみが水面下に取り残されたままにあるが、こうした状況を打破していくためにも、官の効率化と併せて、民間活力の育成が強く求められている。 (本稿は、北海道新聞に投稿した文章を加筆修正した。)
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