記事・論考
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「再生」の政策学 <2> 開発 国主導は北海道の特性

山崎 幹根 公共政策大学院教授 山崎 幹根

連続シンポジウム「再生の政策学」の第二回(六月三十日)は、「開発再生の政策学」のテーマの下、小磯修二釧路公立大学教授と筆者が共編著として刊行した「戦後北海道開発の軌跡」(北海道開発協会刊)でとりあげた論点を深める形ですすめられた。シンポジウムでは、コメンテーターとして栢原英郎北大公共政策大学院特任教授を迎え、いままでの北海道開発政策をふりかえり、今後の北海道の地域政策、地方政府のありかたを展望しながら議論が展開された。
 はじめに小磯教授と筆者によって強調された点は、北海道は歴史的な経緯から他の府県とは異なる特別な行政制度のもとに置かれてきたという事実である。明治初期からの開拓政策に端を発し、戦後に改めて、北海道開発庁という中央省庁、そして北海道開発局という公共事業を執行する総合的な出先機関が設置され、国が策定する北海道総合開発計画にもとづいてすすめられてきた。こうした「領域」に即した特別なしくみは、道外においては沖縄以外には見られない。二○○一年に北海道開発庁が国土交通省に統合された後も、開発局や他府県に比べて公共事業費の地方負担が軽減されている特例は今も残っている。

整った社会資本

 このような国主導の開発体制が整備された背景には、北海道開発が「国策」として位置づけられてきた事情がある。すなわち、戦後復興のための資源開発、食糧増産、人口吸収、さらには高度経済成長期以後、過密・過疎問題を解消し、国土の均衡ある発展を実現するための大規模開発がすすめられた。換言すれば、北海道開発は、日本経済社会の発展に貢献することを第一義的な目的として行われてきた。また、非公式的なレベルでは、冷戦の崩壊まではソ連と国境を隣接する地域として、軍事的、政治的な次元でも特別な意味を与えられてきた。
 国主導の開発政策によって、道路、港湾、空港、農地など、北海道の社会資本は急速に整備された。また、最近まで道内の人口は一貫して増加し続け、今日、五百六十数万人もの人々が定着するに至った地域は世界にもほとんど例がない。また、小磯教授からは、こうした「量的」な面だけではなく、さまざまな主体を調整しながら行う「総合開発」によって苫小牧西港の整備やパイロットファームなどの大規模酪農開発が進められ、これらは全国のモデルとなるプロジェクトとなったことや、また、北方領土隣接地域振興政策や、アイヌ新法(現アイヌ文化法)など、公共事業に止まらない北海道という「領域」の特性に由来した政策がすすめられてきた経緯が説明された。
 一方、整備された社会資本を活用してすすめられるべき産業構造の高度化、大都市圏からの産業誘致は十分ではなかった。各期の開発計画で掲げられた人口数値や経済成長率が達成できなかったのも事実である。従来から指摘されている公共事業依存構造からの脱却も依然として課題である。また、開発事業の中には総合調整が十分にはたらいていなかったものや、苫小牧東部大規模開発や千歳川放水路計画のように見直しを余儀なくされたものもあった。また、栢原教授からは、「日本のための北海道開発」という当初の理念が八○年代後半ごろより、「後進地域の格差是正」に変質していった経緯が指摘された。

成果と課題検証

 シンポジウムの議論を通じて、戦後北海道の開発政策をふりかえる作業は、これからの北海道の新しい地域政策と地方政府の制度設計を行うために不可欠な基礎作業だという認識が共有された。現在、国では次期北海道総合開発計画の、北海道も次期総合計画の策定に取り組んでいる。また、今春から施行された道州制特区法に基づいて、道では第二次提案に向けた作業が進められている。戦後の開発政策、そして他府県とは異なるユニークなしくみが北海道に与えてきた成果と課題を検証し、そこから次の時代に向けた教訓を引き出すことが求められる。
 こうした中で、われわれが目指すべき方向は、狭い意味での社会資本整備に止まらない多様なひろがりをもつ地域政策であり、分権化・グローバル化時代に即した公共政策の形成である。そして、十分な調整能力と大胆な構想力を提示しうるあるべき地方政府の構築を目指して広範な議論を展開することがいっそう必要となろう。

(やまざき・みきね=北大公共政策大学院教授)

北海道新聞夕刊文化面 平成19年7月25日掲載