木幡 浩 
先日、香川県に医療ITの調査に出かけた。
香川県では今、全県域に及ぶ遠隔医療ネットワークが広がり、多数の医療機関が参加している。香川県は24の有人離島を抱えてはいるが、面積は北海道の40分の1足らず、ちょうど道北の稚内・豊富・猿払3市町村分しかない。その小さな香川県で、なぜ、遠隔医療ネットワークが進んだのか?医療ITの関係者、特に北海道の人には不思議らしい。
筆者は、香川県庁で6年間勤務し、このネットワークの萌芽期から確立期にかけて関わった。このためか、その「なぜ」についての問い合わせが多く、今回改めてその「なぜ」への見解を整理すべく、現地に出向いた。
香川県の医療IT、最大の目玉は、かがわ遠隔医療ネットワーク、通称K-MIXだ。これを活用して、医療機関相互に検査データや撮影画像、その診断結果を伝送でき、また患者紹介や紹介患者の経過報告を行うことができる。そしてこれらのやり取りは、データセンターに保存され、継続的な医療連携に活用される。
平成15年6月に供用が開始されたK-MIXは、今や県境を越えて岡山県や広島県にも広がり、65の医療機関が参加する。遠隔医療ネットワークの多くが大学病院を中心とした閉鎖的ネットワークであるのに対し、K-MIXは特定の系列性がなく、依頼先の選択も柔軟なオープンな仕組みとなっているのが特徴だ。これは、香川県が事業主体で県医師会が受託運営を行う公的医療インフラとなっていることが反映している。
一方、公的ネットワークとはいえ、参加機関から利用料を徴収し、3年目からは黒字、平成18年以降行政の運営費負担はない。また、黒字の独自財源を使って、地域連携クリティカルパスのシステムを拡充するなど、ネットワークが自立化し、新年度には県医師会に事業移管するという。
もう一つの売りが、妊婦に対する周産期電子カルテネットワーク。このシステムは、医療機関相互の診療支援にとどまらず、妊婦の在宅検診も、また検診データを医師の携帯電話に伝送することも可能だ。平成10年に県モデル事業で誕生したこのシステムは、雅子さまのご出産の際にも活用され、岩手県や千葉県、東京都で利用されるなど、全国展開を始めている。
遠隔医療ネットワークは、専門的医師の診断を通じて医療の質を高め、また、情報の共有化による医療連携や医療の効率化を促進する。また、過疎地で不安にさらされる医師を支援し、医師確保の環境整備に寄与するとともに、患者が住所地で質の高い医療を受けることを可能とし、地域の安心確保と人口流出の防止に役立つであろう。
地域医療が崩壊の危機に瀕する中、拠点病院への医師集約などの対策は講じられつつあるが、遠隔医療への取組みと合わせて地域医療の再編を行うことが必要だ。特に産科は悲惨な状況にあり、産科の医師のいない地域でも助産師などの指導を受けながら保健センターで検診を可能とする周産期電子カルテシステムは、即効性のある対策だ。最近では、地元に産める施設がないから遠隔地に行って中絶するという深刻な事態も発生していると聞く。遠隔医療は地域のセーフティネットの一つとの認識で、地域政策の側面からも積極的な取組みが求められよう。
さて、本題に戻り、その「なぜ」か?紙面の都合上その要因を具体的に挙げることができないが、一つには、オープンなシステムである点や技術的要因、制度的要因から、参加しやすさ・使いやすさを備えていることが挙げられる。
二点目は「小さく生んで着実に育て」てきた点である。多くの意欲的研究が、当初の研究費の豊かさなどから、過大構想・過大投資・参加者の負担なしといった形でスタートし、「金の切れ目が縁の切れ目」の現象を招いている。これに対し、香川県の場合、研究開発段階で国の研究費を活用するが、実用化段階では県単独事業により、目に見える実績を出すことを重視しつつ取り組み、現場の意見を反映させてシステムの改良拡充を図ってきた。
三点目に最大の特徴として、人的・社会的な側面を挙げることができる。
まずは、中核となるべき人物の存在。香川大学の原教授である。原教授は、香川県の医療ITの当初より、終始一貫情熱をもって取り組み、企画設計、研究開発費の調達など中核を担ってきた。原教授なしには香川県の医療ITは語れない。
しかし、原教授だけでなしえたわけではない。県、県医師会、そして事業者それぞれにキーパーソンが存在し、緊密なネットワークを形成し、各主体がそれぞれにふさわしい役割を発揮してきた(行政は、全体的な方向付けやコーディネート、基盤整備を行うなど)。そして、これらキーパースンの活動は、実績を作りつつ、各々の組織事情と相まって、組織の重点方針として戦略化され、取組みがさらに加速することとなった。こうした人的・社会的ネットワークによる好循環が、香川県の医療IT発展の最大の原動力といえよう。
この香川県の取組みは海外からも注目され、オランダ政府の依頼によりハーバード大学行政大学院とデルフト大学の公共政策の研究員・教授が、カナダとデンマークの電子カルテの成功例をも参照しつつ、レポートをまとめている。
「原ファクター」と題するそのレポートによると、イノベーションを引き起こすのは、トップダウン型の改革計画・奨励構造ではなく、プロとしての倫理観・使命感である。予算・制度の枠組みにとらわれず、市民の視点からの実績を出し、段階的に展開していく現実的努力が重要だ。イノベーションの芽が現れた時、それを認知し、育成する。改革者は、進化の調整をすることが必要だ。また、社会的ネットワークが強く多岐にわたるほど改革の成果が高まる。そして、「社会的ネットワークづくりに投資せよ」としているのが面白い。
筆者の分析ともほぼ共通しており、公共政策の推進に当たっては、日頃から人的・社会的ネットワークづくりに努め、このソフトな資源の力を最大限引き出すことが重要だといえる。
ところが、このネットワーク、聞こえはいいが、実は扱いがやっかいな曲者である。別の言い方をすると「コネ」であり、不透明だったり、裁量が利きすぎたりすると「連携・協力」の美名が「便宜」や「情実」「癒着」など「不透明な関係」に変化する。道職員の倫理条例違反の飲食が問題となっているが、これはルールに違反した「連携」。一定のルールに基づき透明性のあるネットワークの形成・活用が大事なのだ。
一方、ルールや透明性を強調すると、「公正」の殻に閉じこもり、ネットワークづくりの努力をまるでしなくなる傾向があるのも事実。そうなると、ただでさえ社会の流れに疎い役所が時代に遅れ、遊離した存在になってしまう。
人的・社会的ネットワークは非常に重要な政策資源である。この際改めて、その重要性を認識の上、「適正な」ネットワークづくりや活用の在り方をついてルールを含めて考え、その拡充や最大限の活用を図っていきたいものである。
(こはた・ひろし 北海道大学公共政策大学院教授)