中辻 隆 
ここはバンコク郊外、田んぼに囲まれた田園地帯を走る、片側1車線の道路。先刻から車群の先頭で運転する私の心は長閑な風景とは裏腹に緊張感が高まる。「来た!!」。向こうに見える対向車の車群の中から、都市間バスが時速100km/hと思われる猛烈な勢いで、私が走る車線を利用して追い越しを掛けて来るのが見える。しかもパッシングをしながら(タイでは、パッシングは日本とは逆で、「おれの進路を邪魔するな」を意味)。通行権を有する私も一応はパッシングを返すが、力が全てを決する世界。すばやく路肩車線に逃げることを考える。「ウオッー!!」。私の車のずっと後ろにいたはずのピックアップトラックが、路肩車線を使って私の車スレスレに追い越しを掛けて来る。「フッー」。何とかピックアップの後ろに廻って路肩に逃れバスを避ける。「クソッタレ、バスめ」と呟くも完全に負け犬状態。
ここは、ミュンヘンから北方200km程のレーゲンスブルグからミュンヘンに向かうアウトバーン。夜8時を過ぎても昼間からの小糠雨は止まず、霧も濃くなり、ヘッドライトを遠目にしても、辛うじて数十m先が薄ぼんやり見えるだけ。安全のため時速を100km/hに抑えて行くことにする。「他のドライバーも同じ状況だから早く前を走る車を捉まえよう」。「ビューン」と追い越し車線をベンツが駈け抜けて行く。「オイオイ、150や200近い速度だぞ!!」。また直ぐにBMWが同じような速度で追い越して行く。結局、私が期待した速度で走っている車はトンと見かけず殆どが、ルームミラーに灯りが見えたと思ったらあっという間に「ビューン」と私の横を追い抜いていく。「クワバラ、クワバラ」こんなところを走っていたら殺される。慌てて次のインターで降りて、ホテルを探すことにする。
上の例は、私がタイ国内やドイツを走っていて実際に経験したことです。タイなどのアジア各国に行くと、わが国や欧米諸国では見かけない多くの交通手段(タイのトックトック、シムロ、インドネシヤのリキシャなど)だけでなく運転ルールマナーも大きく異なります。それだけでなく、道路の作りが全く異なることに気付きます。タイの道路を特徴つけるものにU-Turn区間とフライオーバがあり、信号交差点は極端に少ない道路構造になっています(写真―1、2)。例えば、幹線道路を利用して郊外から都心に向かう場合に、幹線道路には右折(タイは日本と同じ左側通行)で入りたい状況にあったとします。いわゆる十字交差点がないところが多く、分離帯のために右折が出来ない状況に数多く遭遇したとします。こうした場合には、先ず左折によって一端反対方向に向かって走り、分離帯の一部が開口しているU-turn区間部でUターンを行って初めて自分の行きたい方向に向かうことを余儀なくされます。交通量が多くてUターンが難しいところでは、立体交差でUターンをさせます。
このU-Turn区間が交通渋滞や交通事故の原因となっていることは、多くの研究者や交通技術者が指摘している通りです。私も10年前にJICA専門家として赴任したときに、「タイには交通技術者はいないのか」と真剣に思ったものでした。それでも、タイの人たちは、せっせとフライオーバの建設に汗を流しています。2年間タイに在職しその間、タイ国内の多くの道路走り初めて、U-Turn区間とフライオーバはタイの人々のメンタリティそのものであることを理解しました。すなわち、タイの人々は母なる川チャオプラヤ川に代表されるように「川の民」なのです。本流(幹線道路)を走っているときに支流(測道)の流れに邪魔されるのを嫌っているのだと思います。改めて地図を見ると、幹線(タノン)と袋小路の測道(ソイ)から構成されている街の作りも川の流れの反映であることが見えてきます。タイの人が日本に来ると信号交差点の多さに驚くようです。赤信号で、ズタズタに止められる日本の道路での運転は彼らには快適(サバイサバイ)ではないだろうなと思ってしまいます。

タイ人や日本人に限らず、中国人などはもっとその傾向が強いと感じていますが、アジアの人々は群れることに対する心理的抵抗感が小さいように思います。すし詰めの通勤電車・バス、8畳間に10人以上も雑魚寝、ウサギ小屋あるいは豚小屋とも言われる密集した家屋などなど、これらは日本も含めたアジア各国でよく見られる風景です。これに対して欧米人は、近くに他人が接近するのをあまり好まないように思います。郊外に隣家との距離を十分とって家を建てるのは単に土地が安くて豊富なだけではないような気がします。全くのド素人の見解ですが、狩猟民族の末裔であるゲルマン人などは、獲物を効率よく捕獲するために単独行動を好んだのではないでしょうか?ステレオタイプ的な見方ですが、昼なお暗い黒い森の奥に獲物を求めて息を潜めている、そのようなイメージがあります。ドイツ人のお宅にお邪魔すると、部屋全体を明るくする大きな蛍光灯などはなく、部屋の中にいくつも用意されたスタンドによる手元照明になっていることが多く部屋全体としては暗い印象を持ちますが、そういった環境が彼らにとっては快適なように感じます。
アウトバーンは速度無制限(実際には都市周辺や山岳部では多くの速度規制)ということで、危険な印象をもつ人もいますが、車線ごとに暗黙の走行速度を守り、自分より早い車が後ろから来たら譲る、あるいは内側追い越しはしないなどのルールを守ると、アウトバーンほど安全な道路はないと思えて来るほどです。しかし、夜、それも雨の夜は全く別だというのが1年間ドイツに暮らし、旧東ドイツも含め殆どのアウトバーンを走っての実感です。夜暗くなると農作業は出来ないので早々と就寝していた農耕民族の末裔であるアジア人と、夜の森の中を移動して獣を追いかけていたゲルマン人の末裔であるドイツ人とは、夜の視力、特に雨の夜の動体視力が全く違うなとつくづく思いました。
大仰な言い方ですが、アウトバーンを走ると黒い森の湿った匂いがし、タイ国内の道路を走るとパクチ(タイ料理に含まれる香辛料)の香りがします。翻って、並行する国道が片側2車線であるのに"暫定"という名の恒久片側1車線の高速道路、雄大な大地にはそぐわない窮屈な道路線形、20年待っても、30年待って形成されないネットワーク、こうした状況にある北海道の道路はどんな香りがするでしょうか?雄大な大地や自然が北海道の道路の匂いに含まれているでしょうか?私は、開発途上国から留学生が来た時には、出来る限り日勝峠に連れて行くようにしています。「日本の高速道路網が未だ完成していないのに、日本はおまえの国の道路建設に多額な資金を提供しているのだよ」ということを理解してもらうこともありますが、札樽自動車道の開通から30年以上たっても道央と道東とのリンクが出来ない理由を考えてもらうためです。10年前初めてバンコクから北部のチェンマイ、北東部のノンカイ、あるいは東部のウボンまで走った時には、100km/h以上の高速走行できる区間が半分もなかったにも拘わらず、ここ1,2年の間に再度走った時にほぼ全線で高速走行ができる状態になっているのも身をもって体験すると、高架構造の高速道路を造らなくても高速走向を可能とする道路網を形成することが可能であること、逆に北海道開発局と高速自動車(株)(旧JH)の縦割り行政が諸悪の根源であることがマザマザと理解できます。留学生に30年たっても繋がらない道路を反面教師として考えてもらいたいと思って彼らを日勝峠に案内しています。また、こうした行政を学問として裏で支えていたのは誰なのかという批判は甘んじて受けなければならないと考えています。
バンコクが世界一の渋滞都市との汚名をもって久しく、内外の大学や多くの国際機関から山ほどの処方箋が提案されています。中には、欧米諸国や日本での経験のみをベースにし、U-Turn区間をやめて信号交差点の導入や、袋小路のソイを潰して格子状の都市構造にすることも提案されています。しかしながら、パクチの臭いがしないものは長い目でみてタイの人々に受け入れてもらえないだろうというのが2年間の滞在で学んだことです。道路・交通の問題を考えるには、その国の文化や歴史に対する理解が重要であるということだと思います。こうしたことは他の開発途上国でも全く同じだろうと思います。今後とも、開発途上国の道路・交通問題に関わり、留学生、そして日本の学生と一緒に"パクチの香りがする道路"を考えて行きたいと思っています。
(なかつじ・たかし 北海道大学公共政策大学院教授)